野菜と米の無農薬栽培
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20180103
雪です。

一日中勉強。
時々散歩。
足元ではナナが、前足を伸ばして長くなって昼寝中。

へーゲル「哲学史」下巻の三を読む。

学校で「太陽は東から登り、西に沈む」と教えている。ところが、月については、多くの生徒が、「西から登って東に沈む」と思っている。実は太陽と同じなのだが。
「菜の花や月は東に日は西に」という蕪村の俳句が影響しているという説もあるが、生徒たちは、その延長のゲームを知っているだけだが。
このことが問題なのではなく、この表現が、経験的な主観的認識にすぎないという事が中心の問題です。
宇宙の法則から媒介して認識するするならば、「太陽は東から見え始め、西に見えなくなる」というべきである事がわかる。
新幹線の中から「富士山が前方から飛んできて、後方に飛び去る」と表現する人はほとんどいない。たまに、文学的表現としてあるかの知れない。皆、自分が移動する乗り物に乗って富士山を見ているということを、経験的に自覚している。
地球が太陽の周りを動き、太陽も公道を動き、太陽が所属する天の川銀河もアンドロメダ銀河と接近中ということを考えると、すべてが動く中に我々の立脚点、視点があるということがわかる。
経験的認識、すなわち主観的認識と客観的認識との統一ということがいかに大切かがわかる。
問題はさらに進んで、この統一としての理念が、必然性とどのようにかかわるのかという点についてのスピノザとヘーゲルの違いが問われる。これ以降は、哲学的課題となうのでおしまいにするが、ヘーゲルは、真理には、本質と自由な主体の内的必然性が必要であるとしている。歴史的必然性という言葉の内には、外的必然性と主体的必然性とが、相互規定的な関係として含まれる概念となっている点が重要である。

常識を疑い、固定的に考えていたことを否定し、53億人の人間が、より良く生きるために何が必要なのかを思索すること、奴隷の身に置かれていることを自覚的に否定し、人間として物を見、改善する方途を模索すること、この批判精神の復活こそ今日の若者に必要なことと思うのだが。
政治も企業活動も、嘘と腐敗の覆われている今日の世の中を、声も上げずに頭を垂れてもくもくと奴隷の歩みを続ける若者の群れが、突如青春の雄叫びとともに立ち上がる日を夢見て新年の勉強をしている。

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猫たちの ストーブの前 奪いあい

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(2018/01/03(水) 20:48)

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